2011年8月22日月曜日

学童疎開船対馬丸撃沈される

1944年8月22日学童疎開船「対馬丸」がアメリカ海軍の潜水艦に撃沈
され、乗員乗客1418名が死亡した。このうち1000名以上が学童であっ
た。

生存者の多くは、トカラ列島の無人島に漂着したり、嵐がやんでから
軍から連絡を受けた鹿児島県の奄美大島や揖宿郡山川町(現:指宿市山
川町)などの漁船に救出された。最も長い人は10日間の漂流を強いられ
た。

沖縄方面からの疎開船187隻中、犠牲になったのは対馬丸のみであるが、
戦時中、事故やアメリカ軍の攻撃によって他に27隻が沖縄・奄美近海に
沈んだ。定期船や兵員輸送船、若年の航空兵志願者や勤労動員者と女子
挺身隊などの輸送船であった。

1997年12月12日にようやく沈没した対馬丸の船影が発見された。遺族会は
国会に引き揚げを要求するが、政府は引き上げ困難として行わない意向を
表明、代替案として「資料館」の建設が決定した。

参考資料
対馬丸

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